■I LOVE OREGON■
〜 第1回
ポートランド、ホストファミリーとの出会い 〜
by Akiko Futakawa , 09.08.2002
日本国内から出たこともなく、飛行機にさえ乗ったことがなかった私が初めて足を踏み下 ろした“外国”が、オレゴンのポートランドでした。しかも、この初めての海外滞在は、
1年間。この、いわゆる“留学”というものが、私の人生を変えたといっても過言ではな いでしょう。
そもそもオレゴンのポートランドという所を、どれだけの人がご存知でしょうか? オレゴンというと、おそらく1番に頭に浮かぶのは、“オレゴンから愛”という方がほと
んどでしょう。自然に囲まれ、果てしなく広がる大地・・・が想像されますね。もちろ ん、オレゴンにはそういった所は多く、本当に田舎で何もない、というような所はたくさ
んあります。
ですが、私の滞在していたポートランドは、あくまでもオレゴン州で1番大 きな都市で、交通機関も発達しており、大変きれいで便利な街です。そして、何より物価
が安い!さらに消費税がない!これはうれしいですよね。表示されてある値段の金額を出 せばOK、というのが、最初は妙にうれしかったのを覚えています。(慣れてくるとありが
たみが段々と薄れてくるのですが・・・。)
安いといえば、特に映画は日本に比べると断 然安く、映画好きの私にとっては何よりもうれしかったです。今でこそ値上がりして、安
くて約$5.00〜5.25になってしまいましたが、私が最初の滞在としてポートランドにいた 頃は、$3.00〜$3.25で観ることが可能でした。1ヶ月に、映画館で最低2つは映画を観ると
いうのが私の中での決まりごとのようになっていました。どうして日本の映画はあんなに 高いのでしょうね・・・。
さて、私の初めての留学は、大学のグループの語学留学プログラムからであった為、同じ 大学からの学生達がいるということもあり、ホームシックになったり、孤独感に襲われて
・・・ということはほとんどありませんでした。とにかく、毎日が新鮮で楽しく、何をす るのも勉強になり、充実していました。
この、“何をするのも勉強”と思い込むことが、 良くもあり、悪くもあるのですが・・・。例えば、テレビを見たり、映画を見るのも英語
を少しでも上達させる為の勉強。買い物に行ったり、どこかへ遊びに行ったりする時も、 自分で、早く周りの地理を覚える為、店員さんに話しかけたり周囲の会話を聞いたりする
と英語の勉強になる、街の中でアメリカ文化というものを感じ取る、などと、いろいろ 理由をつけては、机に向かっての勉強を後回しにして、テレビの前に座っていたり、出歩い
ていました。でも、ちゃんと宿題はしていましたよ!
私は1年間の滞在で、同じ大学からの学生達との共同生活と、ホームステイの両方を経験 したのですが、今回は、ホームステイのこと、私のホストファミリーのことについて、お
話しましょう。私は、正直、ホストファミリーには恵まれました。これは本当にラッキーだったと 思います。留学生に紹介されるホストファミリーは、きちんと家を訪問され、審査をされて、
その上で選ばれた家族が学生の趣味・特技や性格などを元に引き合わされるようになってい るのですが、ごくまれに、合わないこともあったり、家族がとても忙しい人達であった
り、というようなこともあります。
私の家族も、両親共働いていて、そこそこに忙しい家 ではありましたが、とても家族との時間を大切にする人達で、私も家族の一員として扱っ
てもらっていました。子供も、小さな子ではなく、私よりも2つ下の女の子(ミッシェル) と、5つ下の男の子(ジェフ)。ジェフとは、時々話をするといった程度でしたが、ミッ
シェルとは、歳も近い為、時には姉妹のように、時には友達のように、といった感じでい ろんな所へ連れて行ってもらったり、ミッシェルの友達とのパーティーにも一緒に行った
り、買い物に行ったり、と本当に仲良くしていました。
パーティーというと・・・そうですね、アメリカの人達は、皆さんもご想像の通り、ホー ムパーティーというのが大好きです。特に私のホストファミリーは、何か行事がある度
に、親戚中が集まっての大きなパーティーでした。イースター、母の日、父の日、誰かの 誕生日、サンクス・ギビング、そしてもちろんクリスマス・・・その他本当に事あるごと
にといった感じでした。
パーティーというと、楽しい!というイメージですよね?それ が、最初の頃の私にとっては、とってもとっても苦痛だったのです・・・。何故かと言い
ますと・・・英語です。ホストファミリーは、私があまり理解できない為、ゆっくり言っ てくれたり、私が言おうとするときも、根気良く聞いてくれることに多少慣れてはいたの
ですが、集まって来る親戚の皆さんにとっては、そんなことは知ったこっちゃない、と いった感じですからね。特に、最初は物珍しさもあったでしょうし、とにかく最初はみん
な、すごい勢いで話しかけてきて、質問攻め。早口ではあるし、いろんな人がいろんなこ とを聞いてくるし、とりあえず笑顔だけは!と必死で笑顔を保ちながらも、頭の中ではパ
ニック。何となくわかる質問に対して短く単純な答えを返すのがやっとやっとでした。し かも、質問の内容は、“何となく”で理解しているので、おそらくとんちんかんな答えも
たくさん返していたでしょう。
とにかく、最初数回のパーティーの時に、常に私が思っていたのは、“貝になりたい!” ということでした。貝のように殻の中でそっとしておくから、そのままそっとほっておい
てほしい、と本気で思っていました。そのことを、後になってからホストファミリーに伝 えた時は、みんな大笑いでしたね。
パーティーの時だけではなく、最初は、1つのことを聞くのにも、なかなか切り出せな かったり、うまく伝えられなく、家の中でも常に小さな辞書を持って移動していました。
少しでも早く家族の中に入れるように、スムーズではなくても少しでも多く会話を、と思 い、できるだけリビングで1日の出来事を話したり、家族の会話をただ聞いているだけで
も、その場にいるようにはしました。おそらく、何が言いたいのかわからなくていらいら したこともたくさんあったはずですが、それを暖かくいつも受け入れてくれていた彼ら
に、心から感謝していますね。冷たくあしらわれていたら、本当に“貝”になっていたか も・・・と思うこともあります。でも、いろいろと大変なこともありましたが、とにかく
私は、あの家族と出会えてよかったと思っています。最初に出会ってから6年が過ぎます が、時々連絡も取っています。これからずーっと、私の第2の家族です。
パーティーの時だけではなく、最初は、1つのことを聞くのにも、なかなか切り出せな かったり、うまく伝えられなく、家の中でも常に小さな辞書を持って移動していました。
少しでも早く家族の中に入れるように、スムーズではなくても少しでも多く会話を、と思 い、できるだけリビングで1日の出来事を話したり、家族の会話をただ聞いているだけで
も、その場にいるようにはしました。おそらく、何が言いたいのかわからなくていらいら したこともたくさんあったはずですが、それを暖かくいつも受け入れてくれていた彼ら
に、心から感謝していますね。冷たくあしらわれていたら、本当に“貝”になっていたか も・・・と思うこともあります。でも、いろいろと大変なこともありましたが、とにかく
私は、あの家族と出会えてよかったと思っています。最初に出会ってから6年が過ぎます が、時々連絡も取っています。これからずーっと、私の第2の家族です。
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