■ユニークワールド体験記■
〜 地球の裏側での生活
In New Zealand 〜
by Yuka Kawakami , 07.14.2002
こんな国があったのか!?ここへ行きたい!そう思ったのは私が15歳の時でした。 高校受験を控えた秋頃だったと思います。それから約一年後、私はこのNew
Zealand という大自然の地を踏みました。初めての海外、はじめての長期滞在いわゆる「留学」です。 広い草原には羊や牛がいて、大都会からようこそと言わんばかりの歓迎でした。人々は
とても親切で、治安もよくゆっくりと時間が流れて行く…それがNew Zealandです。
私が滞在していた場所は、南島最大の都市クライストチャーチから車を走らせ約1時間余り、 スキーやスノーボードでも有名な山、Mt.
Huttのふもとの町 メスベンという人口約1500人 という小さな街です。冬になると全世界(もちろん日本)からのスキーヤ−やスノーボーダーで
賑わいます。町には、ホテルやロッジ、バックパッカー、モーテルがたくさんあり、それらを 利用して観光客も集まります。
現地ではマウントハット・カレッジ メスベンという生徒数が約200人の学校に通っていました。 幼稚園からエスカレーター式に進学していき、日本で言う高校までが一緒になった学校です。
田舎だけに留学生の数は少なかったのですが、ESLといって英語を母国語としない生徒の ための授業もあり、理解ある先生のもと丁寧な指導がうけられました。個人的に一番楽し
かった授業は、Home Economicsいわゆる家庭科の授業です。毎時間、何かを作り試食する。 この繰り返しで、まさにNew
Zealandの食文化に直接触れたという感じがしました。授業の なかでお好み焼きを作ったら、大好評でした。
はじめの半年間、私はファームスティをしました。学校から20キロも離れた農家で羊、馬、豚 とともに生活しました。生活した頃は何もかもが新鮮で、発見の毎日でした。しかし、都会育ち
の私には生活のギャップもありました。消しゴム一つ買いに行くのに車で行かなければならない、 どこいくにもホストマザーに頼み車で行かなければならない。自由がきかなくなった時、現地の
「あたりまえ」が「苦痛」に感じることもありました。これは誰しもが経験する、異文化の一つ でしょうか。
放課後は学校のクラブに参加したい、また友達とも遊びたい。そう思い、学校が あるメスベンの町へホームスティすることを希望しました。すると、ホストファミリーは彼らの
住んでる土地や環境をけなされてるととり、ひどく非難されました。誤解を解くために説明しようと 思ったけど、英語力が無く相手に伝わらない苛立ち、相手を傷つけてしまった悲しみは、今でも
覚えています。結局、カウンセラーや先生を通しホストファミリーに理解してもらい半年間の農家 での生活を後にしました。
町に住むようになり少し自由もきいてきた頃、いよいよ冬本番!観光客に混じりスノーボードを 満喫しました。冬休みは毎日のように山に上がっていました。ラッキーなことに山のシーズンパス
はメスベン住民は格安なんです!!天気が悪い時はたまに山がクローズしてしまうんです、 そのときは町から出ているバスにのって、都会のクライストチャーチに買い物によく行きました。
英語については学校や、スポーツを通じて、徐々に理解できるようになりました。留学=英語と いうイメージが強いですが、どれだけの人と出会い、どれだけ日本では経験できないことをするか
が一番重要だと思います。そんな中、私はやはり娘のように接してくれたホストファミリーに出会えた ことを何よりも誇りに思っています。彼らから毎年送られてくるNew
Zealandのカレンダーを見ると あの頃が懐かしくてたまりません。
New Zealand留学から、もう5年が経ちますがその間2度訪れました。いつ行っても変わらない のは大自然と人々の暖かさです。そんなNew
Zealandは私の第二の故郷です。
▲ミルフォード・サウンドにおける ▲メスベンの街並み
トレッキング
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