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NYTrendyの読者の皆さんへ
あの事件から10日以上経ちました。この週だけは時の流れるのがなんと遅く
感じたことか。毎日テレビを見て、新聞、インターネットで事件関連の記事を読
み、これからの展開を憂慮しています。ですが、自分のやるべきこともあり考え
過ぎて時を無駄にしているわけにもいかないのです。今回は臨時メルマガで、
事件後一週間の報告です。
今回はアメリカの報復などに関する読者アンケートも行っていますので
よろしくお願いします。
http://www.j-newyork.com/feedback1.html
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●●●We Shall Overcome●●●
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by Rieko Shirkaura |
2001年9月12日 事件の翌日
目がさめて窓を開けると秋晴れの美しい日になりそうだった。澄み渡った空を見ていると
なんて平和な朝なんだろうと感じるが、外からは救急車やパトカーがサイレンとともに走
り去る音が絶えない。テレビをつけると昨日から引き続き事件に巻き込まれた人たちの
救出作業やボランテイアや献血への呼びかけ、そして今必要なものは何かを流していて、
ヘルプを求めている。事件現場の状況をニュースキャスターが語る合間にテロのスペ
シャリストたちのコメントが入る。皆口をそろえて言うことには、”こんな寝耳に水のような
攻撃は日本人によるパールハーバー以来だ。” この事件についてパールハーバーを引
き合いに出されると日本人として聞いていているのがつらい。
私のアパートメントはシーンとしていてまだ誰も起きていないようだ。キッチンへ行き
コーヒーを作っているとルームメートが起きてきた。昨日のショックからは私たち二人
ともまだ抜けきっていない。”ひどいことになったね。” ”うん” とうなずき、しばらく二人
は無言で座っていた。
私もルームメートも緊急用に備えての水や簡単な食べ物が手元になかった。あちこちから
何かすぐに食べれるものと水は少し買い置きしておいたほうがいいとのアドバイスをもらい
午後は外へ出てみることにした。通りはすでに午後1時をまわっているのにまるでみんな
まだ起きていないかのような静けさだ。走っている車も極端に少ない。ブロードウェイをダ
ウンタウン方面に見ると昨日の事件の後の白い煙が、アップタウンというかなり離れた場所
からもまだまだ消えずに残っているのが見える。ポツリポツリ歩いている人の顔を見ると、
みんなうつむき加減で笑顔がどこにもない。どうなってしまったんだろうこの街は。ここマンハッ
タンに住んで4年になるがこんなに暗くなった街は初めてだ。
9月13日(木曜日)
事件のために学校がここ2日ほど閉められていたため用事を済ませることができなかった
私は、この日東25丁目にある自分の学校へ行かなくてはと思っていた。地下鉄は数は
減っていたが動いている。電車に乗るとここにも重たい空気が流れている。乗っている人達
の表情は暗い。新聞を厳しい顔で読んでいる人やひそひそと事件について話している人が
いる。耳に入ってきた会話で、かなり過激な意見を持っている人もいると感じた。その男性は
”中東のやつらは皆殺しにすべきだ” などと言っていたのだ。実際、テレビで流された映像
のためにアラブ人たちが住む地域に暴行事件があったり、彼らの家に嫌がらせの電話が
あったり石を投げられたりしていたらしい。こんな事件が繰り返されるとまた憎しみが生まれて
しまう。
学校に近づいていくとポリスやパトカーがやけにたくさんいる。しかも新しくなった学校の校舎
の前にはなぜか簡易トイレがずらーっと周りを取り囲むように設置されている。その訳はすぐ
に判った。ジュリアーニ市長が行方不明者を探す家族のために、そのリストに載せる書類
を提出する場所を緊急に提供し、その場所がたまたま私の学校の目の前だったのだ。そこ
にはすでにテレビのリポーターたちが待機しカメラが設置され、そこに並ぶ人の列を映してい
る様子だ。列に並んでいる人たちは自分たちが作った行方不明者の写真入のビラを握り締め、
みんな悲痛な顔をしている。中には泣きじゃくっている女性もいる。その行列はいったいどこが
列の最後なのかわからないほど、とてつもなく長かった。私はいたたまれずにその場を足早
に通り過ぎるしかなかった。
9月14日(金曜日)
昨日から続々と同じ内容のメールが届いている。元クラスメートや友人からですぐに出来るだけ
多くの自分の知り合いに転送してほしいというその内容は、今夜7時にキャンドルに火をともし、
我々は団結しテロリズムを許さないということを世界中の人に知ってもらうということだ。
Friday Night at 7:00 p.m. EST step out your door, stop your car, or step
out of your establishment and light a candle. We will show the world
that Americans are strong and united together against terrorism. Please
pass to everyone on your e-mail list. We need to reach everyone across
the United States quickly.
The message: WE STAND UNITED - WE WILL NOT TOLERATE TERRORISM.
(今夜、東時間で7時に家の外に出て、車から降りて、会社から一歩踏み出し
キャンドルに火をともそう。我々アメリカ人は強く、断固としてテロリズムに対抗すること
を世界に示すのだ。これをEmailのリストのすべての人に転送してほしい。アメリカ国内の
すべての人に一刻も早く届けなくてはいけないのだ。
メッセージ: 我々は団結して立ち上がる。− 決してテロリズムを許さない。)
*訳 Rieko Shirakura
その夜私は家にあった小さな白いキャンドルを持って、7時少し前に一人外に出てみた。
私の家の前の通りを少し南に歩くと、リバーサイド教会がある。そこまで行くことにしよう
と思いゆっくりと軽い坂道を登り始めた。おそらく7時になったのだろう。教会から鐘が
鳴り出した。人も集まっているようだ。皆様々なキャンドルを手にし、7時になると静かに
黙祷をはじめた。その時の皆の思いは同じだった。人種や国籍の違いなどもはや関係
ない。私たちは祈った。事件で犠牲になった人のために、生存者が出来るだけ早く発見
されるように、そして世界の平和のために。
9月15日(土曜日)
いつもの土曜は私はCPA(米国公認会計士)試験の準備コースに淡々と出かけている
ところだ。この日はコースはあるのだろうかと、インターネットで調べてみると、”スケジュール
はそのままでコースはキャンセルしません!” と、しっかり書かれていた。やはりこんな事件
のために自分のすべきことを狂わされてはたまらない、勉強しなくてはと思いコースが実施
される建物へ向かった。地下鉄を降りて信号待ちをしていると、元クラスメートのJosephが歩
いてきた。”ジョセフ!元気だった?” ”うん、僕は大丈夫。君も?” とお互いの無事を確認
しあい、事件のことを話しながら歩いた。ふと彼のかばんを見ると星条旗がつけられている。
事件後、車にも、店の前にも、道行く人も、そして事件現場と救出作業員たちも皆、星条旗を
つけるようになった。”アメリカ人として、僕たちが団結していることを世界に示したいんだ。”
と、まじめな顔をしてジョセフは言った。
9月16日(日曜日)
ある友人からメールが転送されてきていた。それはアメリカに住むアフガニスタン出身の女性
からの手紙だった。その手紙は長く、内容は重たいものだった。彼女はすでに15年もアメリカ
に住んでいるが、アフガニスタンで起こっていることは常にすべて知ろうと努力してきた。この
手紙で彼女の立場から今の状況がどう見えるかを友人たちに語ろうとしていた。。。
”オサマ・ビン・ラデインとタリバンを憎む一人として話します。ニューヨーク市で起こった残虐
な出来事はこれらの人間達が関与していることは疑う余地もありません。この怪物たちに、
何らかの報復手段をとることに意義はありません。しかし、ラデインとタリバンはアフガン人
ではありません。アフガニスタンの政府でさえないのです。タリバンは1997年にアフガニスタン
をのっとったカルト集団で、ラデインは政治犯です。あなた達は、タリバンというとナチだと、
ラデインというとヒトラーのようだと、そしてアフガン人を強制収容所のユダヤ人のように思う
かもしれません。アフガニスタンは今回の事件で何一つ悪いことはしていません。アフガン人
こそ、タリバンとラデインが自分達の国からいなくなってくれたらと一番望んでいるのです。
ある人は言います。なぜアフガン人は立ち上がり、タリバンをやっつけないんだ?その答えは、
アフガン人は飢えています。へとへとになって、傷つき、戦う力さえ奪われ、耐えているのです。
数年前に国連はアフガニスタンには50万人の孤児がいると推定しました。国には経済力は
なく、食料もありません。土地は地雷によりめちゃくちゃにされ、畑はソ連軍によりすべて破壊
されました。これが、アフガニスタンがタリバンを国から追い出せない理由の一部です。”
彼女はアメリカがアフガニスタンを攻撃することは無駄であると続けて語る。
”アフガニスタンに攻撃を仕掛ける?ソ連軍がすでにやってしまいました。アフガニスタンに
苦痛を与える?彼らはすでに苦痛に耐えています。彼らの家や学校、病院をなぎ倒す?
すでにやられてしまっています。医療器具を渡さない?そんなことをしてももう遅い。すでに
誰かがやってしまっているのです。”
ではいったい他に何が出来るのか?という問いに対し非常に厳しいやり方だがと断り彼女
はこう言うのだ。
"The only way to get Bin Ladin is to go in there with ground troops."
(ラデインを捕まえる唯一の方法は地上部隊とともにそこに行くしかない。)
だが、アフガニスタンに地上部隊を連れて行くとなると、パキスタンを通らなければならない。
パキスタンはその部隊を通してくれるのか?ありそうもない。となるとパキスタンを最初に
征服することが必要となる。他のイスラム諸国は傍観しているのか?私達はイスラム教と
西側との戦いの中にもてあそばれている。それがラデインの計画だ。ばかばかしいことだが、
ラデインはイスラム教は西側を倒すことが出来ると信じているのだ。戦争になれば、それは
何年も続き何万、何十万という人が死ぬ。彼らの国でも、我々の国でも。それを喜ぶのは
いったい誰か?ラデインのほかに誰がいようか?
9月17日(月曜日)
朝9時、再び私は学校の前まできていた。インターナショナル・オフィスに用事があったのだ。
学校に行きかけて私は足をとめた。それは壁一面に張られたビラだった。その建物は市長
が緊急に行方不明者をレポートするために提供したものだ。先週の木曜日に来たときには
そこには行列が延々と続いていたが、今朝はその人達の列はもうない。代わりにあるのは、
家族や友人達が張っていった行方不明者を探しているという無数のビラだった。どのビラも
きれいに写真を印刷している。説明を読むとため息が出てくる。”タワー2の103階で働いて
いたはずの私の息子を探しています。見かけたらすぐに電話をください。” どのビラに書か
れた言葉も、行方不明になっている自分の愛する人が必ず戻ってきてほしいとの願いで
あふれていた。ビラに写っている写真は誰もがうれしそうな笑顔だった。ビラの下にはたくさん
の花束とキャンドルが添えられている。壁に貼られたビラの中のたくさんの笑顔の横を通り
過ぎながら、私はどうにもやりきれなかった。
9月18日(火曜日)
この日の午後4時過ぎにジュリアーニ市長の会見があった。このときの市長は、いったい何
を言い出すのだろうかと気をもませた。なかなか本題に入らないように見えたのだ。”これまで
約5万トンの瓦礫がとりのぞかれ、大勢の人の助けと昼夜を問わずの努力によって困難を
要する救出作業は続けられてきた。” だが、と市長は次の言葉を続けるのに少々時間を
要した。 ”しかし、生存者がこれから見つかる可能性はとてもとても低くなっている。” と
言いずらそうに続けたのだ。そのすぐあとで、”もちろん、救出作業はこれからも続けていく。
だが、生存者が見つかる可能性はとても少ない。” と繰り返した。
事件発生から一週間経ったのだ。こんな発表をしなくてはならないのは辛いだろうなと思った。
事件後すぐに300人ほどの消防士と警察官の出動を命じたのは市長だ。ビルがあのように
崩壊してしまったのは市長のせいではない。が、その中に入っていって救出作業をしたまま
帰ってこれなくなった彼らとその家族に対し、きっとものすごく強く責任を感じていることだろう
と想像する。街がこんな事件があったにもかかわらず、事件後パニック状態も陥らず、すぐに
元の生活をしていこうと思えたのは市長の働きのおかげだと市民は思っているはずだ。
この発表から2日後の9月20日に市長は行方不明者の数は6333人になったと告げた。
☆☆☆編集後記☆☆☆
前回の緊急レポートに対し、大勢の読者の方からの感想と励ましのメールを頂きました。
どうもありがとうございます。今問題になっているのはアメリカが報復をいつ仕掛けるか、
それによっての仕返しは。。。ということです。友達と話をしていても、”報復はすべきだ”
の意見は大多数を占めています。読者からのメールでも報復に賛成か反対かと、私の
意見を聞かれました。とても難しい問題です。もしも、報復しなければアメリカ国民は
だまっていないでしょう。しかし、報復するということは、アフガニスタンにいる無実の人
も巻き添えになってしまうことも同時に示し、しかもそれによって黒幕のラデインがつか
まる保証はありません。今のアメリカの立場(ブッシュの立場と言った方がいいかも)
はつらいです。まず、ラデインがやったという確固たる証拠がなく、今ラデインがどこに
隠れているかもはっきりしていません。報復するにしてもその仕返しのテロで、今度は
何をされるかわからない、というにっちもさっちもいかない状態です。もしも、ラデインの
居場所がはっきりとわかり、しとめることが出来るなら報復すべきだと私は思います。
だれも、関係ない人を傷つけたりはしたくないはずです。報復の意味は、決して戦争を
仕掛けることではない、テロをやった人間に対してだけ向けられるべきです。それ以外
の結果になるのなら、報復することは無意味ではないのかと思います。
読者の方から下記の内容のメールを頂きました。どうもありがとうございます。
義援金について、クリックするだけで募金できるというサイトを知りましたので、
紹介させていただきます。
http://www.donate-for-free.com/index_ja.asp
次回からはまたもとのメルマガでお送りしたいと思います。
編集長 Rieko Shirakura
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*読者アンケート
アメリカの報復について、その他、今回の事件に関する読者のみなさまの
感想をぜひお聞かせください。
http://www.j-newyork.com/feedback1.html
or support@j-newyork.comまで
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