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New York Trendyの編集長である白倉理恵子による、ニューヨーク・ワシントンでのアメリカ同時テロが起こった 史上最悪の日、2001年9月11日とその後についての緊急レポート。

ニューヨーカー達は今 ― それぞれの想い

ブッシュ大統領演説
〜 テロ事件後アメリカ国民に向けて 〜


We Shall Overcome
〜 悲劇の日からその後 〜


The Act Of War
〜 2001年9月11日 〜











■□■ニューヨーカー達は今 ― それぞれの想い■□■
by Rieko Shirkaura


双子の朝

サンデイーとリナはニューヨーク生まれの双子の姉妹だ。二人とも幸いなことに9月11日の 惨劇の被害者にはならずにすんだ。サンデイーはその日の朝9時にワールド・トレード・センター 内の会社で面接予定だったが、寝坊した彼女が起きたのはなんと朝9時で、これじゃとても 面接時間に間に合わない!と慌てて会社に電話を入れたところ、電話のラインはすでに不通 となっていた。もしも自分が時間通りに会社の面接に出かけていたなら。。。と、彼女はその後 のことを想像するのは怖い。

リナの会社はやはりワールド・トレード・センターより3ブロックしか離れていないところで、朝10時 より始まる会社に通勤している。彼女がその朝9時40分頃地下鉄を降りたときには、すでに飛行 機が二機ともタワーへ突入していたところで、それを見た彼女は ”これは戦争が始まった!”  と思ったらしい。駅を降りるとすぐに警察官が安全な場所へ行くように誘導してくれたが、その後 すぐにタワー2の崩壊が始まり、その警察官もかぶっていたヘルメットのアイ・ガードを下ろし、その 崩れ落ちてくるコンクリートの粉塵やガラスの破片に巻き込まれないように全速力で一緒に走り 始めたのだ。リナはどこをどうやって走って逃げたのかは覚えていない。だが彼女はその間に 上から落ちてくる瓦礫を避けられず、すでに大勢の人がそれにぶつかり血だらけになり道に倒れて いたのを目撃している。その逃げる最中に、彼女自身も腕にかすり傷を負った。

”ひどかった。いっぱい人が倒れて死んでるみたいだった。本当に戦争なんだと思った。 タワーに突っ込んでいったのが飛行機じゃなくてミサイルだと思ったんだよ。”

事件からすでに一ヶ月が経つが、興奮して早口で話す彼女の中では、この事件はまだ過去には なっていない。それは彼女がまるで自分自身に言い聞かせるかのように何回も繰り返し言う、 ”早く元通りの生活にならないと。” というセリフがもの語っている。


生存者

タワー2の103階の会社で働いていた女性がいる。彼女は、―仮にAさんとしておこう― 1993年のテロリストによるワールド・トレード・センターの爆破事件を経験している。この ときの恐怖の経験が、彼女と同僚達の運命を真っ二つに分けた。

9月11日の朝、タワー1に飛行機が突入したときの衝撃音で、彼女の頭によみがえったのは 1993年のテロによる爆破事件だ。そしてこの時の爆発音でもまた、彼女ははすぐにテロだ と思ったのだ。会社にいた同僚達に向かって ”すぐに逃げよう!” と、Aさんは促したのだ が、同僚達は ”隣のビルだし、大丈夫だよ” と、笑って取り合わない。Aさんはそれでもしつ こく皆を説得しようとしたのだが誰も彼女の話を聞こうとしなかった。彼女は一人しょうがなく、 タワー2ではまだ動いていたエレベーターに乗り、一階まで数分とかからずに降りたのだ。 ビルを出て上を見上げると、タワー1からはものすごい勢いで火と煙が立ち昇っている。地上 にいた人たちの中には、タワー1へ飛行機が突っ込んだときの爆破の破片が落ちてきて、 怪我をしている人もいる。外にいた人達は皆パニック状態だ。彼女は大急ぎでワールド・ トレード・センターから離れ始めた。とにかくここを一刻も早く、出来るだけ遠くへ離れなくては いけないと思い、北の方面へと向かい始めた。Aさんは急ぎ足で北へ北へと向かいながら、 タワー2に残してきた同僚達のことを思っていた。まだ彼らは会社内に残っているのだろうか? テロリストはまさか二つのタワーを攻撃することはあるだろうか?もしもそうなってしまったら 会社にまだ彼らが残っているならどうなるんだ?

どれだけ歩いたのかわからない。だが、まだ彼女はダウンタウン地区から出ていない。地下鉄に 乗るのでさえ怖い。その時、Aさんは自分の耳が信じられなかった。またものすごい爆破音を聞い たのだ。”何、今のは!?” 飛び上がるようにして南方面を振り返ると、タワー2の上部が燃えて 煙が吹き上がってきている。”そんなばかな。。。こんなことって。” 彼女は唖然として二つのタワー が煙をもくもくと噴き出しているのを見つめた。そしてすぐに同僚達のことを考えた。このままじゃ 彼らが逃げ出せるチャンスはないじゃないか。どうしてもっと強く説得できなかったんだろう。どうして 無理やりにでも彼らを引っ張ってこれなかったんだろう。彼女の中で、後悔と共にものすごい勢いで 様々な思いが錯綜する。

この時から約40分後にはタワー2の崩壊が始まるのだ。彼女の同僚達は行方不明者のリストに あげられ、今はもう帰らぬ人たちとなってしまった。


留学生

ニューヨークは人種のるつぼだ。世界経済の中心でもあり、いい学校もたくさんあり、刺激も 多い。そんな訳でいつでも世界中からの留学生達をひきつけてきたこの街に、韓国からの 留学生の彼女もまた魅惑された一人である。

彼女は敬虔なるキリスト教信者で、仲のいい私にもことあるごとにクリスチャンになるように 勧めるのだ。”私は自分なりに神様を信じてるから、とくに信者にならなくていいのよ” と やんわりと断ってもまだ勧誘をあきらめていないようだ。彼女が私を勧誘するために聖書の話 をするのだが、話の終わりには必ずと言っていいほど、”今に恐ろしいことが起きて、キリスト教 信者以外の人は大勢死ぬのよ。私はクリスチャンだから、たとえどんなことが起こったとしても 神が私を無事なところへ運んでくれるはずなの。でもあなたはまだクリスチャンではないから。”  と、言って何気なく私がキリスト教に入るように仕向けるのだ。

事件が起こったとき、いつもこんな話をしていた彼女のことを思い出した。こんな事件が起こって も、彼女は自分だけは助かるときっと信じているんだろうと思っていた。ところが、この大事件は こんな彼女でさえ震え上がらせた。”どこかもっと田舎のほうへ引っ越したほうがいいって言われた の。” と、彼女は韓国にいる家族からの電話の内容を私に話した。真剣にこの事件の恐ろしさ を語る彼女からは、”自分だけはいつでも助かる” というセリフはもはや出てこない。だが、まだ 卒業を前に2セメスターを残している彼女にとって、ニューヨークを離れるというのはこれまで やり遂げてきたことを中途半端のままあきらめることにもつながる。

彼女のような気持ちでいる留学生達はおそらく多いのではないかと思う。せっかくやりたかった 勉強をはじめることが出来、やっと英語のでの授業やクラスメートや学校にも慣れてきたという 時にこんな事件が起きようとは誰も予想さえ出来ない。ここに残って学業を終わらせるべきか、 それとも。。。いま、留学生の心はゆれて迷いの中にいる。


アメリカと日本のはざまで

私は日記帳は持っていないが、その代わりにスケジュール帳の空きスペースに日々起こったこと をメモするのが習慣となっている。私のメモは日常の小さな私的な出来事で埋められていた。この 事件の前日までは。

このメモによると、事件発生後一週間は何も手につかないでいる私がいた。やっていることといえば、 毎日新しい情報を求めテレビ、新聞、インターネットに時間を費やし、それでもほんの少しずつしか 事実がわかってこないことにもどかしさを覚え、テロを指揮したとされているビン・ラデインに対し、 言い知れない怒りが湧き上がっていた。直接事件には関わることのなかった私にでさえ、このことは 私の中で深く根をおろしたのだ。

そんな時、テレビで日本番組をやっていた。いつもならドラマを流している曜日もそのときはこのテロ 事件特集が組まれていた。映っていたのはニューヨークに観光で来ていた日本人旅行者達だ。彼ら が口をそろえて、”早く日本へ帰りたいです。” と、言うのを聞いていた私がハッとしたのは、この事件 発生後、”早く日本へ帰りたい” という想念が私の中には一度も起こらなかったのだ。

せっかくのニューヨーク観光がこんなひどい事件を目撃することになり、旅行者達が早くここから 逃げ出して安全な自分の国へ帰りたいと思うのは当然だ。もちろん、短期で滞在しにきた旅行者と 長期的にこの街に暮らす留学生という違いはある。だが、日本からの留学生とも話をしたとき、 ”帰国することも考えている” と言っていた人もいる中で、私の気持ちはいったいどうしてしまった んだろうと自分に問いかけた。私はこれから先、たとえどこで暮らそうとも一生日本人であり続ける。 アメリカに住んでいるせいで、日本人としてのアイデンティティーを見失いそうになるなどということは 私にとっては考えられないことだ。日本が大好きで、日本人であることを誇りに思い、私の帰る場所 というのはいつでも家族や親類、友人が迎えてくれる日本だ。だからこの時の私の気持ちを説明す るのは簡単ではない。とても複雑な思いだった。

帰りたいということの代わりに私の中で生まれてきたのは、”今、私にここでできることはなんだろう? たった一人の人間の力ではできることは限られる。だが、皆と協力して何かしたい。こんなテロリ スト達の訳のわからない理屈のために無実の人が犠牲になり、それによって大勢の人が自分の 愛する人を突然失い、平和だった街がめちゃくちゃになっていいわけがない。” という思いだった。 ニューヨークに住む一人として、皆と同じように私の中にもいつのまにか芽生えていたらしきもの
 ― Sprit Of NewYorkers(ニューヨーカーの心)。それは、駆け足で過ぎ去っていったように 見えたニューヨークで過ごした4年が、私に残していったものかもしれない。



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