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■アメリカ旅行記■
- アメリカ旅行記 アメリカ大陸横断ドライブ編 (11)
エルパソ 〜 アルバカーキ
by Hironobu Hamada, 2.26.2001
*前回までのスト−リー
ニューヨークを8月19日に出発し、ロスに向かったアメリカ横断ドライブ。
まず、I-95を南下してサウスキャロライナのチャールストンに向かう。その後は
フロリダから西に向かい、ニューオーリンズ、ヒューストン、オースティン、
サン・アントニオなどを経由してエルパソというテキサスのメキシコ国境
沿いにある町までやってきた。
*8/29(Tu) El Paso, TX 〜 Alburquerque, NM
本日の走行307マイル(トータル3813マイル)
エルパソはメキシコとの国境沿いにある町である。それゆえ、メキシコ系
住民が多く、町のいたるところでスペイン語を耳にする。スペイン語ははここだけで
なく、ニューヨークなどアメリカのあらゆる町で耳にするが、エルパソでは、英語
よりもスペイン語を耳にすることのほうが多いのである。おそらく、市民の半分以上が
スペイン語ネィティブであると思われる。
そんな中、エルパソでは、まずすぐ近くにあるネィティブアメリカン(インディアン)
のリザベーション(居留地)に行ってみた。5分ほどで着いたが、カジノがあるだけで
特別見るべきところはない。アメリカでは、ネィティブアメリカンのリザベーションが
あれば、大抵の場合、カジノがある。これは、アメリカ政府がリザベーションを設けて
いる代わりに、カジノの営業を許可しているのである。彼らの収入は、このカジノが
非常に大きい。カジノに行ってみると、人が列を作って並んでいる。入ってみると、
スロットマシンしかなかったが、平日にもかかわらず大盛況である。40〜50代の
女性がが多かったが、日本人がパチンコに並んで行くのと同じ感覚だと思われる。
アメリカでは、通常、カジノを作る場合は、”大都市から何マイル以上離れていなけれ
ばならない”、といった厳しい規制があるが、ここではダウンタウンのど真ん中でカジノ
が許可されていることに驚いた。
このあたりはメキシコに近いこともあって、メキシコナンバーの車が目に付く。
よく考えてみれば、メキシコはすぐそこである。地図をチェックしてみると、メキ
シコへ行くための道路が何本かあった。国境に足を伸ばしてみることにした私は、
アメリカ・メキシコ国境方面に向かって走り出した。南に向かって5分ほど
走るとメキシコとの国境に達し、そのまま”ボーダー(国境)ハイウェイ”という
道路を西に走る。この道路はアメリカとメキシコの国境沿いを東西に走っている。
走りながらすぐそこにメキシコが見渡せた。
そのまましばらく走り国境についてみると簡単にメキシコに行けそうである。
多くの車がメキシコに向かって走って行くのを見て、私も少しメキシコに立ち寄ってみる
ことにした。
アメリカからメキシコに行く場合は、なんとパスポートチェックもない。そのまま
国境を走り抜けることができる。私はメキシコという国に足を踏み入れたことがなかっ
たが、入ってみるとジュレス(Jurez)というメキシコの国境の町の雰囲気はアメリカと
たいした差はなかった。マクドナルドはあるし、シティバンクやホリディインもある。
違いといえば、道路標識などがスペイン語に変わっていることである。その他、ジュレス
のほうがエルパソに比べて、人が多く、走っている車がどれも古かった。これはおそらく、
アメリカの中古車ではないだろうか。人が多いこともあって、活気があるが、アメリカ
にくらべて”ゆとり”がなく、みんな必至に働いているような感じがした。
スーパーに立ち寄ってみたが、商品は豊富で、アメリカのスーパーとたいした差は
なかった。スーパーから出たときにスペイン語で何か話し掛けられたが、私はスペイ
ン語はわからない。”アメリカから来たのか?”と言っているような気がしたが、理解で
きなかったので、英語でスペイン語は話せないというと、彼は立ち去っていった。英語
が理解できるのなら英語を話せばいいものを!
日本では、外国人から英語で話しかけられると英語を話す人が多いが、メキシコでは
母国語のスペイン語しか話さないようである。ジュレスではエルパソのラジオ放送はその
まま入り、これだけ国境に近かったら英語ぐらい十分話せると思われるが、英語はあまり
話さないようである。”メキシコにきたらスペイン語を話せ!”といった感じのメキシコ
人のプライドを感じた。
私は、メキシコには思いつきで足を踏み入れたため、あまりに準備不足だった。通貨は
持ってないし(たぶんドルが使えると思うが)、地図もない。スペイン語も挨拶程度
しかわからない。実際、1時間ほどぶらぶらして、そろそろテキサスに帰ろうかと
思ったところ帰り方がわからなくなってしまった。道を聞くにも言葉がわからない。
どうしようもなかったが、ぐるぐる走り回りながら何とか無事に国境にたどり着くこ
とができた。
国境は、今度はうってかわって、車が渋滞している。アメリカ入国はどうも時間が
かかるようである。国境では、私はアメリカの市民権を持っているわけではないの
で、いろいろと突っ込まれたことを聞かれた。
What citizenship do you have? (国籍は何だ?)
Japanese(日本)
Passport!(パスポートを見せろ。)
Ya...
Why did you go to Mexico? (何しにメキシコに行ってきたんだ?)
I just dropped by. I 'm from NY and heading for California.
I'm a travelor.(ちょっと寄ってみただけ。ニューヨークからカリフォルニアに向
かっていることころ。旅行中です!!)
Why are you carrying a lot of luggage? (何で、そんなに多くの荷物を運んでい
る?)
こんな感じに次から次に質問攻めにされ、5分ほど足止めされた。無事にエルパソに
戻ることができたが、驚いたのは、国境の検問所を過ぎた直後の道路が、意図的に複
雑に作ってあったことであった。まるで自動車教習所のように、曲がりくねっている。こ
れは、国境を強行突破できないようにしているのであろう。
その後、しばらくエルパソのダウンタウンを歩いたが、ほとんどがスパニッシュ
(メキシカン)である。銀行でも店員と客がスペイン語で話している。この人たち
は、どうやって市民権を取得したのであろう。昔に国境を強行突破したのであろうか。
午後の4時ごろにエルパソを離れて、ニューメキシコに向かったが、その後の
道路からメキシコが見えた。ほんのすぐそこである。しかし、そこで私が見たもの
は、舗装されていない道路と、掘っ立て小屋のような家が山の上にひしめいている光景で
あった。まさしくスラム街である。私は、ジュレスのダウンタウンにしか行かなかっ
たので気が付かなかった。あのようなところに住んでいたら、危険を冒してでもアメリカに
行きたいと思う気持ちもわかる気がした。実は、日本はスラム街がない世界でほとんど
唯一の国である。そのためスラム街の貧しさを理解することは難しいが、スラム街の
光景を一度でも見るとそれがどういうところであるか理解できると思う。
その後、しばらく走るとニューメキシコ州に入り、ヒューストンから付き合ってきた
テキサスと別れ、道路もフロリダから走ってきたI-10からI-25に変更して北に向かっ
た。I-10をそのまま走ると、サンディエゴまで到達できるが、私はコロラド方面に向かう
ことにした。しばらく、走るとなんとまた検問があった。パスポートを要求されたが、メキ
シコからの不法移民の取締りであることは、明らかである。
その後、ニューメキシコの砂漠地帯を2時間ほど走り、アルバカーキという町に到着した。
夜の7時ごろである。そして、その日はアルバカーキに泊まった。
次号に続く。
*写真
エルパソダウンタウン、メキシコ、ニューメキシコの砂漠。
http://www.j-newyork.com/us-travel8/index.html
*編集後記
みなさん、いかがおすごしでしょうか?いきなり、思いつきでメキシコに
行ったわけですが、メキシコは全くといって英語が通じません。道路標識など
何から何までスペイン語に変わります。メキシコに行くならスペイン語を
ちょっとでも勉強していったほうがいいでしょう。少なくとも基本的な
単語は知っておいたほうがいいと思います。私は、ジュレスで道に迷い
ましたが、言葉が通じない、道路標識が読めない、という非常につらい
立場に立たされました。
また、ジュレスのスラム街には驚かされました。あんなところに
住んでいるのかあ。。。しかも、家からはすぐそこにアメリカが見える。
しかしながら、メキシコ人は国境は簡単に越えられない。このように
彼らはかなりつらい立場での生活を強いられています。
そのような光景を目にしたわけですが、今回は日本では体験できない車での
国境突破ができて、それがまた楽しかったですね。
それでは、次号まで。
Take care!
Hiro
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