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■アメリカ旅行記■
- アメリカ旅行記 アメリカ横断ドライブ編 (18)
〜 デスバレーからの脱出 〜
by Hironobu Hamada, 5.14.2001
*前回までのスト−リー
ニューヨークを8月19日に出発し、ロスに向かったアメリカ横断ドライブ。
出発から2週間が経過し、9月4日にラスベガスからカリフォルニア東部の
砂漠地帯に位置するデスバレーに入ったが、あまりの暑さのために
私の車はエンジンがオーバーヒートしてしまった。通りかかった人に
水をもらい、何とかストーブ・パイプ・ウェールズという小さな町まで
たどりつくことができたが、私の車はオーバーヒートした時に冷却
システムのどこかが故障したようである。そのような車でどうやって
バレーから脱出するか、またロスに向かうか。それが問題だった。
*9/5(Tu) ストーブ・パイプ・ウェールズ、デスバレー 〜 ラスベガス
本日の走行 60マイル
デスバレーは、ロスアンゼルスの北東約200マイル(320km)、ネバダとの
州境に近いカリフォルニア東部の砂漠地帯に位置している。
太平洋からの湿気を含んだ空気も、途中のシエラネバダ山脈(Sierra Nevada
Mountain Range)によって遮られてここまでは届かず、雨も山の頂上近くのみ、
それもほんの少ししか降らない。
デスバレーはシエラネバダ山脈からおよそ50マイル(80Km)東にあり、
その長さは約100マイル(160Km)、幅は5マイル(8Km)から15マイル(24Km)
以上にわたっている。年間降雨量は2インチ(5cm)にも及ばず、一年中雲ひとつ
ない晴れ渡った青空が広がっているのが普通である。乾燥した高い山の尾根に
挟まれて周囲から隔絶されていると同時に、風も尾根にさえぎられて吹き込ま
ないため、灼熱の太陽に熱せられたデスバレーの谷底と岩壁の気温はとてつもなく
高くなる。気温は夏は55℃になることも珍しくなく、夜でも38℃を下回ることは
稀という過酷な自然環境の場所である。
デスバレーという名前は、1849年、カリフォルニアに向けてのゴールドラッシュの
さなかに、金を求めてカリフォルニアに向かっていたある小探検隊が近道をしようと
してこの谷で道に迷った結果、メンバーのうち数人が猛暑と水不足のために命を
落としてしまった事故に由来している。
そのような過酷なデスバレーで車がオーバーヒートしてしまった私は、ストーブ・
パイプ・ウェールズというデスバレーの中にあるほんの小さな町に泊まることに
なってしまった。
9月5日は、久しぶりに朝早く目覚めた。昨晩何もすることがなかったので早く
寝たからである。
しかしながら、デスバレーは早朝でも非常に暑かった。9時過ぎですでに温度計は
30度を超えていた。簡単な朝食のあと、ストーブ・パイプ・ウェールズのショップで
冷却液とエンジンオイルを買い、とりあえずそれを車に補給した。この町は、小さな
ガソリンスタンドとそれに隣接した簡単なコンビニのようなショップがあるだけで
車を直してもらえる店などはなかった。
"頼むからオーバーヒートしないでくれ。"
"あと3日持ってくれればいいから。少なくともバレーから抜けるまではもってくれ!"
と思いつつ、ストーブ・パイプ・ウェールズを出発したが、残念ながら、スタート
して3分程度でエンジンの温度が上がリ始め、5分も走ればオーバーヒート寸前になって
しまった。
やはり、昨日のオーバーヒートでエンジンが焼けた際に、冷却システムのどこかが
完全に故障したようである。仕方なく、私はストーブ・パイプ・ウェールズに引き返す
ことにした。そこで、ショップの人に事情を説明すると、彼は電話をしてくれて、
約25マイル(40km)離れたデスバレーのビジターセンターのそばにあるガソリンスタンド
からヘルプが来ることになった。私は、AAA(日本でいうJAF)に相当する
オートモービルクラブに入っていたので、このヘルプは無料であった。そして1時間ほど
してトラックが到着し、私の車を運ぶことになった。ドライバーは40歳ぐらいの
ヤンキースタディアムにいそうなファットガイ(Fat Guy: 体がばかでかい男のこと)
だった。彼の名はマックスといったが、非常に無口で車に乗っている間もほとんど
口をきかなかった。
トラックの荷台に車を積み、1時間ほど彼と同乗して、デスバレーのビジターセンター
の隣のガソリンスタンドに到着した。ガソリンスタンドの裏に簡単な車を整備する
スペースがあって、そこに一人の男がいた。
彼の名はレイといい、彼が車をチェックしてくれたが、彼が唯一できることは、
サーモスタット(一種の冬に必要なパーツ)を取り除くことだけだった。そんなことで
私の車が直るとは思えなかったが、とりあえず、それをやってもらうことにした。レイは
マックスとは正反対に非常によくしゃべった。典型的なヤンキーのアメリカ人で、年は
マックスと同じく40代に見えたが、やたらとLAの話をしたことから昔はLAで何かを
バリバリやっていたことが想像できた。
レイはサーモスタットを取り除くことにかなり苦労していたようで、取り除くまでに1時間
かかった。その間、レイはLAやベガスの話をひたすらしていた。その1時間で私はレイと
親しくなったが、彼が言うにはバレーから抜けられる確率は50%らしい。
レイにお礼を言い、水を補給してデスバレーから脱出するために、ラスベガス方面に向か
ったが、ほんの10マイルほど走っただけでエンジンはオーバーヒート直前の状態になって
しまった。この調子では、とてもじゃないけどバレーからの脱出は不可能である。そこで、
私は、先ほどのガソリンスタンドに戻ることにした。つまり、車を完全にギブアップする
ことにしたのである。
ガソリンスタンドに戻ると、レイがいたが、驚いた様子もなかった。
Ray: "Hey, Hiro(私の名前), what's up!"
I: "Hey, my lovely car overheated again..."(車がまたオーバーヒートしてしまった。)
Ray: "Really! What's are you gonna do from now?"(これからどうする?)
I: "I give up my car here. No other choice... "(車はここであきらめる。他に方法がない。)
Ray: "Are you sure?? But, what about your car. You cannot drop your car here."
(本当か?でも、車はどうする?ここで乗り捨てることはできない。)
・・・・・・・・
I: "Well, I have one deal with you." (実は、そのことで一つ提案があるんだ)
I: "I give you this car. It's free. I don't have time to fix my car here.
I have to go to LA by September 7th. But, can you bring me to Las Vegas?"
(この車をただであげるよ。実は9月7日までにLAに行かないといけない。そのかわり
ラスベガスまで連れて行ってくれ。)
Ray: "Well, I'm sorry.. I'm busy right now. But Max can bring you to Pahrump,
not Vegas."(すまないが、実はおれは今忙しい。でも、変わりにマックスがパランプ
まで連れていってやる。)
パランプ(Pahrump)という町はラスベガスとデスバレーの中間に位置している町で、
マックスがそこまで連れて行ってくれるらしい。しかも、タダで!車をあげることに
なったが、車自体はいくつかのパーツを除いてももはやほとんど価値のないものであった。
レイが言うには、パランプまで行けばレンタカーがあるらしい。そこでレンタカーを
借りればLAまで2日で行くことができる。私が、9月7日までにLAに行く必要があるのには
理由があって、実は9月8日の飛行機で久しぶりに日本に一時帰国することになっていた
からである。ニューヨークからLAまでドライブし、LAで車を売り、9月8日の飛行機で
一時帰国するというのが私のプランであった。
ナンバープレートを取り外し、荷物をすべてマックスのトラックに積み替え、タイトル
(自動車の所有権証明書のようなもの)に署名し、出発することになったが、やはり
そうなれば感慨深いものがあった。車はポンコツで頻繁に故障し、もはやオーバー
ヒートしてぼろぼろの状態だったが、ニューヨークからデスバレーまで2週間にわたって
一緒にドライブしてきた車である。しかしながら、そのような感慨に浸っている
時間はなかった。9月7日までにLAに到着するためにはどうしても今日中に
バレーから脱出する必要があったからである。
確かに、今から思えば車を酷使しすぎたような気がする。
特に9月3日には応急処置しかしていないマフラーで500マイル以上砂漠の中を走った。
結局、マフラーは修理することなく、そのままデスバレーにに乗り込んできたのであるが、
まあ、こうなるのは至極当然のような感じで、かなり無謀であった。
昼の3時半頃だっただろうか?荷物を積み終わりレイと別れ、マックスと一緒にトラックで
出発した。
Ray: "Good luck to your travel."
I: "Thank you so much, Ray. Someday, I will come back here again.
I wanna finish driving Death Valley."
(レイ、いろいろとありがとう。いつか機会があればまたデスバレーに戻ってくるよ。
やはり、デスバレーを完走したい。)
Ray: "Take care."(気をつけて。)
I: "You, too. Bye bye."
トラックは、私の車とは正反対に調子がよかった。エアコンをがんがんかけていたが、
上りも全く苦にしなかった。30分ほどで、デスバレージャンクションに着き、そこを右折して
デスバレーから出ることができた。その後はカリフォルニア州道127号線を南東に走り、
ネバダ州に入り、1時間ほどで無事パランプに到着した。
マックスは相変わらず無口で、パランプまでの間、ほとんど話さなかった。
彼は、私を"Enterprise"というローカルなレンタカーステーションまで連れて
行ってくれた。幸運なことに利用可能な車が1台だけあった。
そこで、私はマックスにお礼を言い、コーヒーでも飲んでいくか、と誘ったが、帰ってやる
ことがあるらしく、すぐにデスバレーに引き返していった。
こうして、私は何人かの親切な人のおかげで、デスバレーを脱出することができたのである。
時刻は夕方の5時ごろで、私は夕日を眺めながら、のんびりとネバダ州道160号線を
ラスベガスに向かった。
そして、夕方6時ごろに再びラスベガスに戻ってきた。たった2日の間であったが、
かなり久しぶりのような気がした。
フライトは9月8日の朝で、2日間でLAに行く必要がある。明日はどうなることやら。
次号に続く!
*写真
ストーブ・パイプ・ウェールズ、ラスベガス。
http://www.j-newyork.com/us-travel15/index.html
*編集後記
今回のデスバレーの教訓として、大自然を甘く見ないほうが言うことを悟りました。
砂漠の夏の厚さは想像以上で、ストーブ・パイプ・ウェールズから隣町までは約80マイルも
離れており、その間上りが続き、灼熱の暑さが続きます。ここをトライする人は、車を
整備し、十分な水を持っていったほうがいいでしょう。レンタカーの場合は、新しい
車が多いので心配ないと思いますが。私も完走できなかったデスバレーをいつかまたチャレンジ
したいですね。できれば新車で!
それでは、次号まで。
Take care!
Hiro
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