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■アメリカ旅行記■
- アメリカ旅行記 アメリカ横断ドライブ編 (13)
〜 ”アメリカ最古のコミュニティ” タオス・プエブロをたずねて 〜
by Hironobu Hamada, 3.14.2001
*前回までのスト−リー
ニューヨークを8月19日に出発し、ロスに向かったアメリカ横断ドライブ。
フロリダ、ルイジアナ、テキサスといったアメリカ南部を経由して、ニュー
メキシコ州のサンタフェという町までたどりついた。
*8/31(Th) サンタフェ(ニューメキシコ州) 〜 タオス・プエブロ 〜 デュランゴ(コロラド州)
サンタフェへの行き帰りニューメキシコの砂漠と大自然の風景に思わず感動した私だったが、
この日は、さらに景色を楽しむためにインターステート(高速道路)からから州道(日本で
言う国道か県道)にルートを変更し、少しゆっくり行ってみることにした。
ルート68を通り、タオス・プエブロというネイティブ・アメリカンの居留地に向かった。
少し行くと小さなリザベーションがいくつかあり、そのたびに、ルート沿いでネックレス
などのアクセサリーを売っている光景に出くわした。ネィティブアメリカンがこのように、
道路沿いで彼らのアクセサリーを売っていることは、何もニューメキシコに特別なことでは
なくて、全米のあらゆるところで見られる光景である。
さらに進むと、砂漠から峡谷地帯に入った。峡谷地帯に入ると、道路は川沿いの山道で傾斜が
激しくなり、運転技術が必要となったが、自称「ベテランドライバー」の私は、難なく山道
運転をこなし(笑)、気がつくと、周りに美しいパノラマが広がっていた。それまでの砂漠
の風景とは趣が違い、どこまでも続く気がする道路、険しい山々、不毛の大地に点々と生える
植物、かなたに見える万年雪・・・。インターステートから州道に変えて正解だったようで
ある。
山道の景色を楽しんだ後、「タオス・プエブロ」に到着した。
さて、タオス・プエブロとはなんぞや?と思う方々も多いでしょう。ここでタオス・
プエブロについて少しご説明しましょう。
日本人にはあまりなじみがないが、実はアメリカインディアンの歴史は非常に古い。有史
以前に狩猟民族がこの土地に入り、数々の内乱を繰り返した後、ここにコミュニティを作り
あげていった。その後スペイン人の侵攻にも屈せずこの地を守りぬいた。彼らのことを
「プエブロ」いう(いわば元祖インディアン)。このプエブロにも種類がいくつかあって、
そのうちの一つが「タオス・プエブロ」である。
「タオス・プエブロ」は、最も有名でガイドブック等でもよく紹介されている。
タオス・プエブロには1000年以上の歴史があり、昨今は、若者が都心へ流出する傾向が
あるものの、敷地内には今も約2000人が住んでいる。このタオス・プエブロでは、幾層
にも重なった最古のインディアンアパートが有名である。このアパートは、紀元1000年
頃から建設され始めた。その後、息子世代、孫の世代の家族と作りたされてきた結果、この
ような幾層にも重なったマンションが出来上がったのである。築3000年(?)以上も
するアパートに、今も普通に人が住んでいるのである。
このマンションは、サンタフェで見られたアド−ビと呼ばれる日干しレンガでできている。
一言で言えば、茶色のレンガ作りのアパートである。現在でも、プエブロ内のどこかで、
必ずといってよいほど、土と水とわらを混ぜ、アド−ビを補修する人々の姿が見受けられる。
伝統を受け継ぐ頼もしい姿である。
しばらく歩いた後、たまたまツアーを見つけたのでそのツアーに参加してみた。ガイドは
タオスの20歳ぐらいの女性で、英語は流暢だった。彼女に質問してみると、ネィティブ
アメリカンは今は誰でも英語を話すらしい。普通にスーパーマーケットにも行くし、ファー
ストフードも頻繁に食べるそうだ。(日本のみなさんは、インディアンと言えば「羽のついた
ヘアバンドをはめて馬にまたがり、『インディアン嘘つかない!!』という姿」を想像して
いせんか?21世紀のインディアンは、とても近代化されているようですよ。)
その21世紀型インディアンの彼女の懇切丁寧なガイドも終わったので、勝手に参加して
いたのだが、またまた勝手に退散し、私はタオスのダウンタウンに行ってみた。思っていた
より人が多く、ウォルマートなどのスーパーマーケットもあった。お洒落なモーテルやみやげ
物屋さんも何件かあって、私の見た限りでは、タオスはかなり観光地化されているようだっ
た。2時間ほどタオスに滞在した私は、ルート64を西に向かった。カントリーミュージック
を聴きながら、しばらくドライブしていたが、突然私は”ドカン!”という大きな衝撃を
感じた。車が何か大きなものを踏んだのか、少し大きめの穴があってそこにまともにはまって
しまったようだった。いやな予感がした・・・。この車はニューヨークからニューメキシコを
経由し、コロラドの州境まで一日も休むことなく約3000マイル(約4500km)走って
きたのだから当然である。しかも、元々私の車はNYで$1500ほどで買った85年式の
中古車で、いわゆる「おんぼろ式カー」であった。車をチェックしてみて一見異常がなかった
ので、安心した。(後々痛い目に合うとは知らずに・・・。)
走り出してしばらくするとエンジンの音が異常にうるさいことに気が付いた。もう一度
車を止めてチェックしてみると、マフラーとエンジンの付け根が真っ二つに折れていた!
それで、部分的に排気ガスが漏れ、排気音がうるさかったのである。気付いたのが少々
遅かった。すでにタオスから30分ほど走った後だったのである。何もない砂漠地帯でマフラー
が折れていることに気付いてしまったののだが、楽観的に考えてコロラド方面に向かって
しばらく走ることにした。途中、南西部で最も美しい眺望が望める橋と言われている
「リオ・グランデ・ゴージ橋」などにちゃっかり立ち寄った。この橋は、橋から川までの
距離が200メートル近くあり、その周りの崖は断崖絶壁で、飛び降り自殺をする人も
多いそうである。壮観な景色と断崖絶壁の壁という暗い一面で有名な橋なのである。
車は、慣れてしまえば大したことはなかった(?) 少なくとも私にはそう思えた。いや、
景色がきれいだったために忘れていた。途中から、ルート64にルートをB変更し、砂漠から
森林地帯に入った。森の中をドライブすることになったが、この森の景色が、しいて言うなら
油絵のキャンバスのように美しかった。
日が暮れるに伴い、交通量が減ってきて、森の景色は不気味な雰囲気になってきた。
前にも後ろにも車はなく、森林のため部分的にしか日がささず、風が出てきて森がざわめき、
ホラー映画のような雰囲気になった。また、間の悪いことに、私は一人でいつ止まるかも
わからない故障した車を運転しながら、映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の森を
思い出してしまった。
そのような不気味な一人運転が20〜30分ほど続いた後、バイクのライダー2台と
すれ違った。その後も続々とハーレーなどのバイクと出くわした。コロラドに入るとさらに
バイクは多くなった。どうもこのあたりは、有名なツーリングコースのようである。8月末
という季節柄もあり、バイクはかなり多かった。パゴサ・スプリングスという温泉町、ベイ
フィールドといった町を通り過ぎて、デュランゴというコロラド南西部の町に着いたのは
8時ごろだったが、ここは街全体がバイクであふれていた。
ストリート、モーテル、スーパーマーケット、ファーストフード店、そのすべてがバイク
であふれかえっており、ハーレーにのった、サングラスをかけ、皮ジャンを着、腕にイレ
ズミを入れたアメリカ映画にそのまま出演できそうな出てきそうなヤンキ−がストリートを
バイクで疾走している。"Bikers are welcome!"という垂れ幕も掲げられていた。この週末
には何かバイクのイベントがあるようである。私は、ひとりであるバーに入ったが、例外
なしにバイカーで盛り上がっていた。
ロックミュージック、バドワイザー、ハーレー、ここで私はアメリカの象徴を半日ですべて
見たようなきがした。
しかし、車は何もなくてよかった・・・。明日から大丈夫だろうか?
次号に続く!
*写真
タオス・プエブロ、ニューメキシコの雄大な大自然。
http://www.j-newyork.com/us-travel10/index.html
*編集後記
みなさん、いかがおすごしでしょうか?タオスのリザベーションの幾層にも重なった
マンションには驚かされました。数百年の歴史を一目で実感しました。
タオスからコロラドまでのドライブは砂漠から一転して森林地帯になり、これが
本文でも紹介しましたが、本当に油絵のキャンバスのような場所でした。毎回、今までで
最高に景色がいいところ、といったような感じのことを書いていますが、それほど
今回の旅行では、毎日が発見の連続でした。同じところに2日滞在しなかった、という
理由はありますが、最後まで飽きたり、疲れたりすることがほとんどない、本当に
充実した旅行でした。
もうすぐ、春になり、夏の旅行シーズンになりますが、読者のみなさまも旅行記を
読みながら、機会があればぜひアメリカを訪れて、ドライブ旅行にチャレンジして
みてください。自分の目線でみる大自然は最高ですよ。
それでは、次号まで。
Take care!
Hiro
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